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聊 城

2014/4/15 14:33:31   source:jp.sdfao.gov.cn

  【境域】聊城市は山東省西部、北緯35°47′~37°2′と東経115°16′~116°32′の間に位置している。聊城市は西部で漳衛川に臨んで、河北省邯鄲市、邢台地区と川を隔てて向かい合って、南部と東南部で金堤河、黄河を隔てて、河南省と本省の済寧市、泰安市、済南市に隣接して、北部と東北部で徳州市と境を接している。聊城は東西間の距離が114キロメートルで、南北間の距離が138キロメートルで、総面積8590平方キロメートルで、全省総面積の5.6%を占めている。

  【沿革】聊城市は歴史で聊撮国と称されて、管轄した各県、市は何度も変遷を経た。唐虞時代が兗州に属した。春秋戦国時代が斉国、衛国、晋国、魏国、趙国に属した。秦の時代、全領域が東郡に属した。西漢の初、聊城、東阿、陽谷、莘県がそれぞれ兗州部東郡、冀州部魏郡,青州部平原郡に属した。東漢の時代、それぞれ平原郡、兗州部済北国、司州部陽平郡に属した。晋の時代、それぞれ冀州部平原郡、司州部陽平郡、济北国及び東平国に属した。後魏、済州部平原、司州部阳平郡、司州部陽平郡、済州部済北郡、済州部南清河郡に属した。斉周、平原郡、清河郡、済州部済北郡、司州部陽平郡に属した。隋の初、それぞれ魏州武陽郡、貝州清河郡、済州済北郡、兖州済北郡に属した。唐の時代、それぞれ河北道博州博平郡、貝州清河郡、魏州魏郡及び河南道済州済陽郡、鄆州東平郡に属した。宋の初、それぞれ河北東路博平郡、大名府魏郡、京東西路東平府東平郡に属した。遼、金の時代、それぞれ山東西路東平郡博州、東平府、大名路大名府、大名路大名府恩州地に属した。元の時代、それぞれ東昌路総管府、冠州、高唐州、高唐州、ぼく州、東平路に属した。明の時代、それぞれ山東布政司東昌府、兖州東平州に属した。清の時代、それぞれ東昌府、兖州府、泰安府、直隷州に属した。1912年、境域が済西道、1914年が東臨道に変えた。1928年、道を廃し、境内の各県が山東省に所属した。1949年8月20日、聊城行政督察専員公署が成立され、平原省に属した。館陶、臨清及び臨清鎮(県レベル)が河北省邯鄲専区に属した。1952年11月、平原省を撤廃し、聊城専署が山東省に属した。1967年3月、聊城専員公署が聊城地区革命委員会に変更した。1978年7月、聊城地区革命委員会が聊城地区行政公署に変更した。1997年8月、国務院の許可により、聊城地区と県レベルの聊城市を撤廃し、それぞれ聊城市と聊城市東昌府区に変更した。

  【区画】2010年に聊城市は8県(市区)、134郷(鎮、街道)、6486行政村を管轄している。

  【人口】 2009年、全市人口が均衡の増加を保持し、総人口が590.89万で、女性が291.40万人である。年の出生人口が6.96万で死亡人口が3.09万、人口の自然増加率6.58‰である。

  【民族】現在、全市に43個の少数民族があり、合計6.7万人だ。聊城市の少数民族の人口が山東省四位で、少数民族の散居と雑居の重点市である。

  自然条件

  【地形】地勢は西南部がより高く、東北部が低く、平均スロープが1/7500。海抜高度が22.8~47.8メートルの間、最大高度が49メートル(莘県西南部),一番低いところが27.5メートル(高唐の東北部)。 地形は主に6種類に分けている:河原高地が27.48万ヘクタールで、全市面積の31.8%を占めている;結集扇形地3.09万ヘクタール,3.6%を占めている;緩平坂地37.87万ヘクタール、43.8%を占めている;浅平窪地7.08万ヘクタール、8.2%を占めている;背河床状くぼ地4.5万ヘクタール、5.2%を占めている;砂質河床地3.5万ヘクタール、4.1%を占めている。その他、位山、関山、せん山、か山、魚山、曲山、香山、がい山、張山、凌山など、50メートル未満の石灰岩残丘が10箇所あまりあり、約2.8万ヘクタールで3.3%を占めている。

  【河流】主要河流が黄河、金堤河、徒がい河、馬頬河、衛運河と小運河である。その中に黄河、金堤河は黄河水系に属し、他の河は海河水系に属している。黄河、衛運河は一年中流れていて、金堤河、徒がい河と馬頬河は季節性川である。

  【湖】東昌湖があり、環城湖、鳳城湖とも言う。総面積が4.2平方キロ、杭州の西湖よりやや小さく、中国の北方でめったに見えない人工湖だ。建国して以来、何度も整理を経て、一年中水の深さが1-2メートルに保持され、淡水養殖を発展し、魚、蝦等を豊かに産出している。1973年に「環城湖」と改称して以来、開発と建築を実施しつつ、相次いで湖心閣、釣り基地など、観光地を構築した。1995年の年末に、東昌湖と名を変えた。高唐城圏湖、城環湖とも言う。面積が千ムーあまりで、城内面積の半分を占めている。東南湖、西南湖、東北湖、西北湖、四つの部分で構成されている。湖底が平かで、一年中深さが約1メートルと保持している。

  【気候】温暖帯季節風気候区に位置づけていて、明らかな季節変化と季節風気候特徴を持っている。半湿潤大陸性気候に属する。

  【自然資源】土地資源  全市土地面積が8590平方キロで、耕地面積が55.62万ヘクタールだ。

  鉱産資源  石油、石炭、天然ガス、石灰石等、地下エネルギーガ豊富で、しかも採掘しやすい。既に明らかになった石炭の埋蔵量が240万トン、石油が3000万トン、天然ガスが一億立方メートルである。聊城は電力が充足で、総インストール容量が600万キロワットに達し、華北の重要なエネルギー基地だ。

  経済状況

  【綜述】国民経済が快速且つ健康的な発展を保持し、総合実力が更に新たなステージに踏み出した。初歩的な統計によると、2009年に全市GDPが1375.92億元と実現させ、比較可能の価格で計算すれば、前年を13.2%上回った。中に、第一産業が4%、第二産業が15.4%、第三産業が12.9%を増加した。

  【企業誘致と資金導入】長年来、聊城市はずっと企業誘致と外資導入を経済仕事のメイン内容にしている。力をこめ、「大開放、大誘致で大発展を促す』という戦略を実施する甲斐があって、誘致する成果が著しい。2008年に企業誘致と外資導入によって、156億元の資金が実際に投入され、全市固定資産投入の3割を占めている。韓国CJ、香港華潤、スペインのAyecue、オランダのDSM生物製薬、青島ダブルスターなど、投資額高く、周辺を動かせるプロジェクトを取り入れた。また、中冶、大唐、中色など、多くの中央企業と戦略協力関係を結んだ。

  【農業】聊城市は中國重要な商品食糧、優良品質棉、野菜、果物、家畜家禽生産基地、農業製品高付加価値加工と輸出基地だ。中に、蛋白質に富む小麦、円鈴棗、香瓜、小尾羊、魯西黄牛等優良な特産は全世界に名をはせている。無公害野菜の栽培面積は100万ムーに達し、食用菌の栽培面積は全国首位を占めている。冠県の梨は評判が高くて、60万ムーの面積で栽培されている。肉牛年間の生産高は100万頭、肉鶏は7000万羽。

  【工業】工業が早いスピードで発展している。2009年、工業企業が合計3481.32億元の増加額を実現し、2229社の規模以上工業企業(国有企業と年製品売り上げ高500万元以上の非国有企業を指している)が3208.27億元の増加額を実現した。

  【交通】聊城市の交通が発達していて、地域優勢が著しい。京九鉄路が南北に貫き、邯済鉄路、済聊館高速道路が東西に横切り、さらに今工事中の徳商高速、青蘭高速を加えば、多くの路線が重なって、交通の『ゴルデン十字』と構成する。北京、天津、青島、上海、福州、しんせん、珠海など大都市までの交通が非常に便利であることから、山東省ひいては全国の大事な交通の要となっている。

  【ビジネスと物流】聊城から車で2時間届ける周辺に3億以上の人口があり、特別な地域位置と交通優勢を加え、聊城は江北重要なビジネス物流中心となっている。年間売り上げが億元以上の専門卸売市場は34ヶ所もある。そのなか、香江光彩大市場は江北(揚子江の北側)の最大な専門卸売市場だ。聊城は中国最大なシームレス販売基地で、シームレスパイプの年間取引額が10億元以上。臨清煙店軸受け専門市場は中国の重要な軸受け集散地と販売中心だ。目前、聊城市は石炭、化学肥料、非鉄金属、農副製品等を販売する大型物流基地と専門卸売市場を建てようと企画している。

  【都市建設】聊城市が「都市建設で市を美化する」という発展戦略を提出し、「二城一河」という建設発展企画をセットした。古城区の保護と開発、開発区工業新城の建設、徒がい河両岸の開発への参与を励み、江北水城の品位と競争力を全面的に向上させる。

  【新興の観光シティ】聊城には自然風景や人文風景たくさんある。ここ数年間、政府主導、社会参加、市場動く、全面調整を通じ、力をこめて観光資源を開発している。10億元の投資で東昌湖風景区、運河風景区、徒はい河風景区を建設して、魅力的な風景帯、文化帯、観光帯となっている。相次いで、水滸観光、運河観光、古代軍事文化観光、赤色観光、民俗文化観光、エコ農業観光と工�観光等、多くの観光線路を出し、海内外の観光客をひきつけた。今は巨大な資金を投入し古城区の保護と改造を実施している。三年間をかかり、全市の旗艦観光地に構築しようとしている。

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