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中国からやって来たパンダ、日本人に心から親しまれる

2018/11/20 8:48:04   來源:チャイナネット 2018/11/20 8:48:04

  日本メディアによると、安倍晋三首相は先ほどの訪中で、中国と多くの事項について合意した。両国が新たなジャイアントパンダの貸与で合意し、双方の国民にとって朗報となった。

  朝日新聞(電子版)によると、今回の貸与は2011年2月ぶりとなる。

  報道によると、中国は1972年の中日国交正常化に際し、パンダ寄贈などの「パンダ外交」を展開した。日本政府の関係者は、「中国側は貸与に非常に積極的で、中日関係を真剣に改善しようとしている表れだ」と述べた。

  日本人はどれほどパンダを愛しているのだろうか。日本経済新聞(電子版)は12日、これまでの記事を振り返ったが、そこから日本人のパンダへの熱意を感じ取れるかもしれない。

  報道によると、2017年に生まれたパンダの赤ちゃん「シャンシャン」が初公開された。上野動物園生まれのパンダが一般公開されるのは、1988年の「ユウユウ」から29年ぶり。観覧者があまりにも多かったため、動物園側は抽選制を採用。初日は平日だったが、1万8323組の申請を受け付けた。抽選倍率は45.8倍。初の週末となった23日には144倍に達した。

  日本人がパンダを愛していることは間違いない。2017年11月現在、日本は中国に続き、パンダ飼育頭数で世界2位になっている。

  日本では現在、10頭のパンダが生活している。東京の上野動物園が3頭、和歌山県の「アドベンチャーワールド」が6頭。神戸市立王子動物園にも1頭いる。

  中国のパンダは1972年に日本訪問を開始した。中国政府は1972年10月27日に中日国交正常化を記念するため、日本にパンダの「カンカン」「ランラン」を無償提供した。情報によると、当時多くの日本人が羽田空港と上野動物園に駆けつけ、パンダの姿を見ようとしたという。空港から動物園に向かう路上、パトカーと約100人の警備員が護送し、まさにVIP待遇だった。動物園に到着すると、この2頭の「初代訪日パンダ」は日本の動物園にとって史上最大のブームを巻き起こした。上野動物園の入園者数は1973年に、過去最多の920万人を記録した。

  しかし残念ながら、カンカンとランランは赤ちゃんを産まないうちに死んだ。

  1985年、パンダの「ホァンホァン」と「フェイフェイ」の赤ちゃん「チュチュ」が誕生した。日本で初めて生まれたパンダのチュチュは、43時間しか生きられなかった。

  幸運の神がついに、1年後に舞い降りた。フェイフェイとホァンホァンは1986年に、「トントン」と「ユウユウ」を産んだ。当時園長だった中川志郎さんによると、パンダにはエサとして薬用人参も与えられた。「パンダのパパは高齢だった。赤ちゃんが無事に生まれて嬉しい」

  中日国交正常化20周年となる1992年、ユウユウが北京動物園に移動した後、北京動物園から「リンリン」がやって来た。

  リンリンの配偶者として、上野動物園はメキシコから助っ人「シュアンシュアン」を借りたが、赤ちゃんが生まれることはなかった。リンリンが2008年に死ぬと、上野動物園からパンダがいなくなった。同年の入園者数は60年ぶりに300万人を割り込んだ。

  3年後、上野動物園はついに中国からパンダのカップル「ビリー」「シエンニュ」を迎えた。翌年に赤ちゃんを産んだが、1週間もたたないうちに死んだ。その後さらに5年が過ぎ、新たな赤ちゃん「シャンシャン」が無事誕生した。

  日本の菅義偉内閣官房長官が話したように、「これは日本全国を喜ばせるニュース」だった。東京都はパンダの名前の選考委員会を設置し、32万件以上の応募作品の中からシャンシャンという名前が選ばれた。日本の主婦は「これは拍手を禁じ得ないやんちゃな名前だ。外交の難題があるが、パンダの赤ちゃんの誕生が日中友好関係をさらに発展させることを願う」と述べた。

  中国は阪神大震災の復興を祈願し、2000年に2頭のパンダを貸与した。

  東日本大震災後も、中国は仙台市にパンダを貸与する意向を示した。奥山美恵子市長(当時)は、パンダにより「被災地の子供たちに元気を与えたい」と表明した。

  安倍氏は今回の訪中で、神戸と仙台へのパンダ貸与を要請した。両国の親善大使であるかわいらしいパンダが、日本の人々により多くの幸せをもたらし、中日友好事業の発展を推進することを願う。

  「中国網日本語版(チャイナネット)」 2018年11月19日 

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主管者:山東省人民政府新聞弁公室