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東日本大震災の真相を蘇らせた書籍「津波の亡霊」

2019/12/5 11:13:08   source:人民網日本語版

  中国の大手出版社・新経典文化は1日、著名作家の李長声氏と劉檸氏をゲストに迎え、新刊書「津波の亡霊(原著:Ghosts of the Tsunami)」をめぐる座談会を開いた。中国新聞網が伝えた。

  外国人の目に映る日本人とは長きにわたり、秩序と節度を保つ、きめ細やかで精確な民族だった。地震や津波、台風などの自然災害に直面したとき、日本人のこのような素質が極限まで発揮される。だが、今から8年前、東北地方のある小学校では、こうした秩序ある整然とした「日本人のかたち」が大きな傷口を伴い引き裂かれることになった。

  2011年3月11日、人類史上4番目に強い地震が日本を襲い、巨大津波と福島原発の放射能漏れ事故を引き起こした。犠牲者は1万8千人に上り、教員の保護下にありながら犠牲になった児童は75人。そのうち74人は大川小学校の子供たちだった。

  20年あまり日本に居住していた英国人ジャーナリストのリチャード・ロイド・パリ―氏は、6年間に及ぶ追跡調査を続け、「津波の亡霊」を書き上げ、人々が心を痛めたこの大災害の全プロセスを再現して見せた。

  東日本大震災が発生した当時、「タイムズ」紙のアジア編集長兼東京支局長を務めていたパリ―氏は、ただちに被災地に駆けつけ、ジャーナリスト特有の冷静な態度で巨大津波に襲われた現地について報道した。しかし、大川小学校で起きた悲劇については、パリ―氏は身を切られるような残酷さを感じ、その悲劇の背後にある真相を突き止めようと行動を開始した。

  6年間という長期間にわたり、彼は東京と被災地を頻繁に往復し、難を逃れた子供たちを取材し、市役所担当部門が記録した事故に関する日誌を繰り返し読み、保護者とともに事件の真相にだんだんと近づいていった。

  2011年3月11日午後2時46分、子供たちが通学かばんを整理して帰宅しようとしたその時、地震が発生した。教師と児童全員が、普段の避難訓練時と同じように、速やかに校庭に避難した。この時、教員は津波警報を受け取っていたが、なぜか教員は子供たちを学校の裏山に避難するよう誘導せず、反対に彼らと共に海岸へ、つまり、すぐにも津波が襲ってくる方向に逃げた。

  間違いの元凶は、教員が常識よりも、市の防災マニュアルで指定された避難場所、つまり空き地か公園に避難したことだった。校長の怠慢により、マニュアル内の津波防災プロセスのサンプルは調整されることなくデフォルトのままで、大川小学校のケースには100%当てはまっていなかった。

  真相が明らかになり、保護者からの追求や叱責を受け、教育委員会の職員と大川小学校の校長は、最も丁寧な表現で哀悼の意を示した。また、全員で起立して、犠牲者の保護者に深々と頭を下げて謝罪したのだ。だが、自分が所属する組織の名誉を傷つけないように、この「事故」が職務上の過失であることを認めようとした人は誰一人おらず、さらには、この責任を自ら負う意思を持つ人も皆無だった。

  東日本大震災発生時、李氏も日本にいた。彼から見ると、日本人は非常にまじめで、規律を守る人々だった。だが、規律を守ることには別の側面がある。それはすなわち教条主義で、簡単に判断を下すことを難しくしてしまうという面だ。

  劉氏も李氏に同意を示し、この種の教条主義は、実際のところ、責任を負いたくないという心理に由来すると指摘。当時、山の方に避難しても、余震や土砂崩れのリスクがあり、教員はその責任を負うことができずにマニュアルに従うという決定が下されたのだ。

  劉氏は、「このような現象は、日本ではよくあることだ。まさに、丸山真男氏が終戦直後に分析したように、明治維新後、日本の『近代主体意識』は結局ずっと構築されることはなかったため、日本社会では『無責任体系』が出来上がった。その結果が『上から下への抑圧構造』であり、このことも、大川小学校の保護者が学校と教育委員会の責任を追及する過程で、常に行き詰った原因となった」と強調した。

  書籍の中で取り上げられた、訴訟を起こした保護者が直面した社会からのプレッシャーについて、李氏は、「このような現象の背後にある『空気を読む』という伝統は、日本でかなり深く根付いている。だが、今の若者は、『他人と同じでなければならない』というプレッシャーから抜け出すことを試みている」との見方を示した。

  「人民網日本語版」2019年12月5日

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